熱波 京の夏は夜なお暑い。江戸者が慣れるまでは酷だろう。 だがしかし、その態は如何なものか。 夜も更けた刻限。報告に訪れた副長室の主は既に夜着に着替えていた。 それはいい。しかし寛げた衿からは胸が、捌いた裾からは肢が露わに覘いている。 「色男が…いや、副長ともあろうお人が台無しですね。」 「堅苦しいこと言うんじゃねぇよ。こんな刻じゃもう誰も来ねぇし、お前も楽にしたらどうだ。」 「俺はこのままで構いません。」 「お前はいつもそうして涼しい顔してるが、夏場にその形は見てるほうが暑いんだよ。」 「それは偏に鍛錬が足りぬのでしょう。『心頭滅却すれば火もまた涼し』ですよ。」 「そう言った坊主はそのまま焼け死んじまったけどな。」 「生き恥を晒す位なら潔く散る。俺も見習いたいものです。」 「・・・・・・無駄死には許さん。」 「承知しています。」 他愛無い軽口の応酬の中、不用意に投じた一言が場の温度を下げた。 自分達が立つ場所がどれだけ危ういか、そのような事は今更言われるまでもない。 しかし、それも全ては自ら選んだ道。後悔などあろうはずもない。 初めて刀を鮮血で濡らした時より、何時の日か己もこの骸と同じ最期を迎えるのだと 胸に刻んだ覚悟は今も褪せることなく其処にある。 しかし、時折無性に一人の夜が怖くなる。 己の知らぬ間に夜の闇がこの美しい鬼を何処か遠くに攫ってしまうのではないか、と 愚にも付かぬ事を考えては朝焼けに烏の鳴き声を聞く。 そんな時こそ肌を重ねて眠りたいと、温かな胸に己を包んで下らぬ考えを一笑して欲しいと、 そう思うのに斯様な言は口が裂けても言えそうにない。 代わりに口を突くのは、いつも睦言とは程遠いものばかり。 「人の心配よりも御自分のことを気に掛けてください。駒の代わりなら幾らでもききますが、 あんたの役を肩代わりしたがる物好きなんて何処にもいないんですよ。」 何をか反論しかけた唇を噛み、わかってる。と、苦々しく零す。 そんならしくなさも既に見慣れた。 その事実と意味に意識せずとも浮かぶ微笑を伏せ隠し傍へと躙り寄る。 「でしたらもっと気を配って頂きませんと・・・ こんな詰らぬことで風邪など召されても看病などしませんからね。」 そう言いつつ大胆に開いた袷を整えようと手を掛ければ、その上から掌を被せ押し止められた。 何事かと面を上げた刹那に搦め捕られた視線。 「どうせすぐに乱れちまうんだ。此の儘で構わねぇよ。」 びくりと跳ねた身は耳元を擽る艶を帯びた声にか、腰を撫で上げる性質悪の掌にか。 どちらにせよ隙を生んだ身体は容易く腕の中へと誘われる。 薄らと汗ばんだ胸板に残る先夜の名残から眸を反らせば、 くつくつと咽喉を震わせる男へのせめてもの意趣返しにと洩らした呟きも 耳聡く聴き付けられ、挙句見惚れるような笑みで 「その好色爺にいつも好いようにされてるくせに。」 などと返されてしまえば最早言葉も無い。 噤んだ口唇をあやすように熱を移され吐息だけが漏れる。 夏の夜はまだ始まったばかりだ。 ※無断複製・転載その他一切を禁止します。 作者:夏月さま |