<< RETURN TO MAINMENU

WORDS

A delusion sentence.

それは何よりも穏やかな (D.Gray-man:LY /※Death)


―カチャ、と音がして、ドアが開く。一番最初に思ったのは酷い消毒液の臭いだった。視線は彷徨う事はなく、ベッドに横たわる彼を見る。いつも頭上で結わえられている黒髪は解かれ、真っ白なシーツに流れていた。一歩一歩彼に近づくにつれ、血臭が鼻につく。ベッドの脇まで寄り、上から見下ろした彼の姿は常と姿と何ら変わらない様だった。だが、いつもはこんなに近くに寄れば漆黒の眼が自分を鋭く睨みつけ、その口からは顔に似合わないスラングばかりが飛び交うはずだった。
「…ユウ」
呟くように零れた呼びかけに、彼の瞼がぴくり、と反応を示した。ゆっくりと開かれる瞼をじっと見つめ、ラビは自分の握った手に力を入れた。伸びた爪が掌に刺さる。まだ、彼は此処にいる。
「…ラビか。」
掠れた声で呼ばれて、ラビはうん、とだけしか答えられなかった。こみ上げた熱いものがすぐそこまで来ている。何か言葉を発したらそれが無様にも零れてしまいそうで、ラビは慎重に細く息を吐いた。カタカタと唇が震えるのはどうしようもなかった。
「何、情けねー顔してやがる」
不敵な笑みを引いた青白い顔に、反論すら出来ない自分に腹が立った。ギシ、とベッドが軋む音がして、彼はゆっくり上体を起こす。胸の辺りまで掛けられていた毛布が滑り落ち、その下の赤黒く染まるシーツはまだその赤い範囲を広げていく。赤と白と黒のコントラストに背筋が凍りそうになった。これが意味するのは一つ。もう彼の身体は傷を治すだけの力が残されていない、と言う事だ。
「…」
どうしよう。何がどうしようなのかわからないまま、漠然と思う。言いたい事は沢山あったはずなのに、口唇が震えるだけで、肝心の言葉が出てこない。別れの時はあれも伝えて、これも伝えて、出来ればこうして…なんて何度も思ってたはずなのに。もうすぐ来る確実な別れに早く、と急かす自分の声が頭に木霊した。
「ユウ…」
やっと出た彼の名前に不意に触れてきた彼の、冷たい手が頬を撫でる。いつも自分を睨みつけていた鋭い眼差しがふっと和らぐ。そのままぐいと引き寄せられて、ラビは思わずベッドに手をついた。しっとりと濡れた感触についた手を引きそうになったが、それより彼の真っ直ぐな眼差しが目の前にあり、不恰好な前かがみの体勢のまま、ラビは眼を見開いた。暖かいような冷たい様な不思議で柔らかい感触が、唇を掠めた。キスだ、と思った瞬間にそれは離され、唇が触れ合うギリギリの近さで彼は言葉を紡いだ。
 
「こんな事でぐらつくんじゃねぇ。―全て”記録”しろ、ブックマン。」
 
ドン、と突き飛ばされる様に離されて、ラビは呆然と目の前の彼を見た。何も、言えなかった。
「部屋から、出て行け」
常の彼の口調は震える足を叱咤し、ラビは部屋を出ると言う選択しか出来なかった。彼のその言葉に従うしかなかった。せめて最期は自分の腕の中で、だなんて甘い事は許さない声だった。廊下に出て、閉めたドアに寄りかかり、ズルズルとその場に崩れ落ちる。足に、身体に力が入らなくなった。彼が自分の前からいなくなるだなんて思っていなかった。胸の梵字の意味を知らない訳じゃなかったし、常に生死がかかる場所に身を置いていたのだから、いつかはそういう日が来る事も知っていた。だが、別れの時は自分が彼を置いて行く事ばかりを思っていて、それは永遠に会えないかもしれない可能性を充分に秘めた別れだったけど、それでも「またな」なんて言う言葉に希望を持てる別ればかりを思っていた。それがこんな形で終わるだなんて。もう会えない。それを思うと今すぐにでもこの分厚いドアを破って中に入って想いを伝えて抱きしめてしまいたい衝動に駆られるが、彼はそれを許してくれなかった。最期まで彼は自分を”ブックマン”として存在する事を求めた。ブックマンは心を置いていかない。何かに執着してはいけない。最後の最期で伸ばしかけた手を、彼は払ってくれた。自分が”ブックマン”として生きる為に。
「ユウ」
見上げた天井は薄暗く、ぼんやりとモノクロームに見えた。何も聞こえない冷たい廊下で、ラビは眼を閉じる。自分の頬についた彼の血液が仄かな血臭を運ぶ。ゆっくりと指を自分の唇に這わせると、震えは止まっていた。ツンと鼻の奥が痛くなって、涙が出そうになる。ドアを開け、部屋から出る瞬間に見た彼が口唇の動きだけで言った言葉だけが、今のラビの全てだった。
 
「そんな言い方ずるいさ…」
 
「Good-Bye, My Dearest.」
なんて酷くて優しい別れなのだろう。伝える事もさせてくれないまま先にいってしまうなんて。
 
「(置いて行かれる事がこんなに辛いなんて、思わなかった)」


←2
終わりを知る恋に10のお題/#10:それは何より穏やかな終焉→配布サイト:Arcadia.様

2008/07/16 皆川(暗いなコレ。でも私の中のラビユウはこんなのばっかり:07/05/07執筆)